2021年度 理事長所信
(一社)久留米青年会議所
理事長 野田康友
背中
~会も会員も、時代を迎えに行く「本物」になれ~
はじめに
私は久留米青年会議所が大好きです。久留米青年会議所無くして今の私はありません。経営者として、一家の大黒柱として、一人の男として、いまの自分を形成するにあたって欠かせないことを数多く会得させていただいた団体だと、今は胸を張って言えます。
しかしながら、久留米青年会議所の現状や組織の在り方に対して全てに納得をしている訳ではありません。このままでは、これからの時代における青年の学び舎としての選択肢にJCが入って来ないようになるのではないかと感じてしまうことがあります。自分たちの手弁当で、自分たち以外の「誰か」や「何か」のために膨大な時間とエネルギーを費やし、歯を食いしばって頑張って、素晴らしいことを行っているのに、周りにはなかなか伝わっていない現状が悔しくてなりません。青年会議所が青年会議所であり続けるために守られてきた価値観と、時代がもたらす価値観にズレが生じているように感じておりました。私が勝手にこの会の現状に危機感を抱いていた最中、さらに追い打ちをかけるように、突如として未知のウイルスとの闘いの日々が訪れました。完全収束はすぐには難しく、しばらくの間は見えない敵との共存を前提に人類は生きてゆくことになりました。今後ワクチンが完成および浸透して、一旦の収束を迎える日が来たとしても、また新たなウイルスがやって来る可能性も十分にあります。人と直接「会う」ことに対する美徳をはじめ、これまで当たり前に共有されてきた価値観がひっくり返されるほどの大きな波がやって来て、時代の変化のスピードがさらに大きく加速しました。今こそ、素晴らしい部分はもっと際立たせて表現し、変えるべき部分は本気で変えていき、尚且つそれを全会員で共有して、会員一人ひとりの意識も変わらなければ、このまま弱体化の一途をたどるどころか、存続すら危ぶまれるという現実がもうすぐ目の前に迫っています。脈々と受け継がれてきた久留米青年会議所66年分のバトンを、このような全く新しい時代の入り口で受け取った2021年度の久留米青年会議所の一年は、これからもより良い運動発信をしていくための「持続可能な存続」そのものを目的とし、会の在り方も、会員一人ひとりの意識や立ち振る舞いも、徹底的に見つめ直し再構築すること自体を念頭に置いて活動します。全会員が、同じ目的を目指し、同じ方向を向くことで「本物の格好良さ」を身にまとい、「背中で魅せる」集団になりましょう。そうすれば我々は、必ず息を吹き返せると確信します。
いま、久留米青年会議所を背負っているみんなへ
良くも悪くも、青年会議所のいまがあるのは、積み重なった歴史によるもので、特定の誰かの功績や罪ではありません。でももし、ウイルスや時代のせいにしてなんとなくこの数年を過ごし、組織を弱めてしまうようなことがあれば、その責任を問われるのは他ならぬ我々現役会員です。
みんなに理解、そして共鳴していただきたい。覚悟を決めて、一緒に、大きく変わろう。それも、楽しみながら。
役職者の背中
2021年度は、現状の久留米青年会議所の年齢分布や課題状況を鑑みて、会議の流れや組織図を変化させ、いまに適した形にトライします。その分、各自が「役を演じる」ということを徹底している背中を見せていただく必要があります。ほとんどの会員が今まで経験したことのないポジションに立つ訳ですから、初めから完璧にこなせるはずはありません。一年間を通してその役になっていくのです。その代わり、その役になろうとする強い姿勢は常に見せてください。後輩たちは、それを見ています。むしろ、それしか材料がありません。自分のプライドは自分の心に大切にしまっていただき、後輩たちの前では、楽しい時こそ共有し、辛いときこそ笑い、感謝は口にして、謝るときは謝る、JCでの役職に前向きに挑む人としての「本物の格好良さ」を意識して「考動」してください。それぞれの個性は、役に求められる言動を意識して立ち振る舞ったうえではじめて発揮してください。その方が説得力も段違いです。絶対に間違えてはならないのは、役職が上になればなるほど大きくなるものは「権力」ではなく、「責任」ということです。いまの時代、上役であればあるほど窮屈なのです。ただ、「役を演じる」ことが出来た際の最大の喜びは、その自分の言動によって、後輩たちが大きく成長してくれることだと思いませんか。自分の後ろにどのような道が続いていくのかは、他ならぬ自分自身の行動次第であることを頭に入れていただき、その役になるために常に最高の準備をして臨んでください。それを達成できたときには、おのずと自分も大きく成長しているはずです。同時に、次々と未来のスーパースターが現れるきっかけとなった年にできるはずです。
卒業予定者の背中
2021年度は、委員会内におけるメンバーの中での卒業予定者の比率は高くなっております。久留米青年会議所が精鋭集団として勢いを取り戻すために、卒業予定者の皆様のお力添えが必要不可欠です。これまでの卒業予定者が担ってこられた役割のイメージを大きく超えて委員会運営に入り込んでいただきたい。「卒業予定者」と、重要な戦力である「メンバー」という二束のわらじを履いていただき、スタッフの成長と委員会運営に力を貸して下さい。その背中を魅せていただければ、あなた方のことだけを考え抜いた部隊が、最高の卒業を演出してくれるでしょう。
フォロワーメンバーの背中
2021年度は、メンバー一人ひとりの力が結集し、全会員のパフォーマンスが最大化されることを求めます。スタッフからの依頼を待つ受け身のメンバーにはならずに、メリハリのついた良い委員会運営を作り上げるチームの重要な一員になっていただきたい。
各チームの管理、いわば「マネジメントの実施」はスタッフが行うことかも知れませんが、テーマごとにおける「リーダーシップの発揮」は、会員の誰が行っても良いのです。メンバーの方々が自ら率先してその役割を買って出てくれる雰囲気がある状況が理想的です。「盛り上がっているチームには、貴重なメンバーあり」だと思います。ある意味、「もっとも自発性が求められる、フォロワーという役職」を演じる背中を魅せて下さい。
会員一人ひとりの背中
これまでは組織図における各会員に求める役割を述べて参りましたが、その一方で、青年会議所は当年度の組織図だけでは語れない場面が多々あります。有馬押太鼓を通しての繋がり、スポーツやアクティビティなどのJC内での部活動を通した関係、同期入会同士の絆、前年度までの師弟関係など、会員一人ひとりが大切にしている場所が少なからずあり、その場所が各会員にとってJC活動を継続していく中での非常に重要な「心の拠り所」と言えるでしょう。単年度では終わらない、それぞれにとってのホームにおいては様々なことを本音で語らい合うことがあるべきですが、だからこそ最終的には、各人が改めて次の一歩を踏み出そうという前向きな気持ちになって玄関ドアを開けるようなホームであって欲しいと思います。当年度の担いの時だけJAYCEEであれば良い訳ではありません。JCがきっかけでむすばれたご縁を自分で軽くしてしまわないように、いついかなるときも「久留米青年会議所の現役会員」という看板を背負っている自覚を持ち、「清く、正しく、たくましく、それでいておもしろい人たち」でありたいし、全会員がそうであって欲しいと強く願います。
「新しい」伝統の継承
久留米青年会議所が長年受け継いでいる特有の素晴らしい委員会として、アカデミー委員会があります。入会一年目の会員が所属し、先輩会員へのおもてなしなどを通して企画・立案・実施・検証を体感しながらJCの基本を学んでいただきます。かけがえのない「経験」と「同期」を得たアカデミーメンバーが翌年以降活躍していく土台として、本物のJAYCEEを育てるためにも大変重要な組織であることは言うまでもありません。ただ、これからの時代とともにこの素晴らしい育成機関を持続可能な形で続けていくためには、これまでの形式に新入会員をはめ込んでいくような教育スタイルだけではなかなか難しくなって来ていることも事実です。現代およびこれからの青年経済人をお預かりし、彼らにできるだけ早く「入って良かった」と思ってもらい、JCはもちろん様々な場所で活躍できる人財に育成していくためには、時代に合った事業内容やスケジュールにトライする絶好のタイミングであると考えます。これまで同様、久留米青年会議所会員として大切なことはしっかりと習得していただく前提で、事業展開においては従来の形に捉われず、自由な発想で構築された21アカデミーが飛躍していく姿を期待します。
最高の舞台で、最高の卒業を描き、描かせる
久留米青年会議所の卒業予定者は、夏に「あお」のしめこみを巻いて特別な景色を見て、一年間の最後に、思い思いの言葉を残し卒業します。「卒業式」はもちろんですが、わがまち久留米にとって大切な「まつり」は、久留米青年会議所にとっては卒業予定者の晴れ舞台の一つでもあります。2021年度は、それらの舞台において、久留米JAYCEEがアカデミー委員会時代から培った久留米青年会議所なりの素晴らしい設営能力を存分に発揮して、卒業予定者にとって最高のラストイヤーを演出します。同時に、その「設え」とその「背中」を卒業予定者以外の会員も体感・共有することで、会員一人ひとりが自分にとっての「充実したJCライフの先にある卒業」を思い描いて、全会員のモチベーションを上げる舞台にもなると信じております。
身近な人、大切な人こそ唸らせたい
偏った言い方をしますが、本来ならば一緒に過ごすはずの時間を割き、家族や社員などの身近な人からの疑問を投げかけられながら、それでも皆が活動を続けているのはなぜでしょうか。運動発信のためであることはもちろんですが、最終的には、自分が行かないと誰かに迷惑を掛けてしまう、とか、やると言った以上は投げ出す訳にはいかない、などの各自の「責任感」や「生き様」という非常に尊いもので成立しているはずです。そのマインドこそが信頼を生み、家庭や事業所における大黒柱として欠かすことのできない成長の種を育てていると言えるはずなのに、それを伝えるのは本当に難しいことだと思います。身近で大切な人にこそ正面から向き合い、青年会議所で培った想いやスキルが詰め込まれたものを会として表現し、垣間見てもらうことで、全てを理解されずとも、少し背中を押してもらえるようになれれば、久留米青年会議所にとって、それも一つの貴重な変革です。また、「子ども」という大切な人に対して想いを伝えて理解してもらうことはそう簡単なことではありません。人の幸せは人それぞれですので一概には言えませんが、年代としては「子育て世代」という共通項を持つ20代・30代が日頃から感じている悩みや喜びを共有し、より良くなる様なきっかけを作ることも、青年会議所にしか出来ない青少年育成事業の一つだと思えてなりません。「会員にとって身近で大切な人へ」直接訴えかけ、さらに「大切な人と、その人にとっての大切な人」が通じ合う契機となる機会を提供することで、我々にとってもっとも身近な市民の意識変革を誠心誠意行い、久留米青年会議所の堂々とした背中を魅せ、自分たちの手で「理解」を広めましょう。
我々にしか出来ないリーダーシップ育成
「青年会議所は学び舎である。専門科目はリーダーシップ育成。」と教わったことがあり、重要な共通文言と捉えております。その上で、青年会議所にしか発信できないリーダーシップ育成とは何でしょうか。同じ地域に拠点を置く、働き盛りの40歳までの本当に近い世代だけで組織されているという圧倒的な共通点があるはずです。他人を知ることで、自分の課題や長所をこれでもかと認識させられ、「同世代の凄い人をサンプリングできる」唯一の団体、それが青年会議所の大きな特性だと考えております。さらには、世間にあふれている帝王学や経営手法の一部をかすめるような勉強ではなく、この世代が何に苦労し、どのような学びを必要としているのかを徹底的に検証した上で、主観的なことではなく、心理学や人心掌握術などの観点も踏まえた、この世代にこそ「ささる」、この世代だからこそ学んでおくべき「人の心を掴める人財」になれるような事業を計画実施していくことで差別化をし、その内容をきっかけとして同じ世代の新たな仲間が集まってくる流れを生み出していきましょう。
新しい「運動発信」様式を確立する
働き方改革が叫ばれ、さらにウィズコロナという時代へ突入した中で、世界では、首都東京では、地方都市では、そしてわがまち久留米では、どのような新しい様式が出てきているのか。それに連動して、青年会議所としても世界では、日本本会では、九州地区では、ブロックでは、他LOMでは、どのような状況なのか。SDGsという人類の共通目標との向き合い方も踏まえて、久留米青年会議所こそが、そういった最新の情報がぎっしり詰まっていて、どこよりも早く新しい様式で活動および運動発信にチャレンジしている組織でありたいと強く願います。年間を通して、世の中のニューノーマルはもちろんのこと、青年会議所のニューノーマルと徹底的に向き合い、必要なものは対内にも対外にも発信していくこと自体を事業とし、そこで表現される目的や手法が、久留米青年会議所にとっても、会員一人ひとりにとっても、会員の事業所にとっても有益であるならば、新しい運動発信様式を通して、新しい久留米青年会議所を魅せることができるはずです。
会務こそ、クリエイティブに
多くの会員が、会務運営側の担いに対して、大変でやりたくないというイメージをどうしても持ってしまうことは理解出来ます。確かに、これだけの組織を回していくためには実務ボリュームが大きいことは否定出来ません。しかし、本来「会を運営する」ことで得られる経験値や成長の機会も段違いに詰まっています。その価値を経験者が体得し、得られるものを他の会員に伝播していき、少なくとも「どうせなら一度は会務をやっておきたい」という会員が増える流れを再構築すべきと考えます。まずは、例会セレモニーの設営進行は例会担当の委員会に、年度最後の卒業式は専門の他の委員会に担当してもらうことで、根本的な年間の担いの量のバランスを整えます。さらに、会務系の担当実務においても縦割りでチーム分けし、それぞれの主たる担いを明確にします。まずは縦のチーム毎に責任を持って計画実行し、もし突発的にそれがむずかしい場合は横のつながりでフォローし合うという順番を意識する構図にすることで、目の前のことに無駄に忙殺されないようにしておくことから始めます。そのうえで、新型コロナウイルスの影響で外的状況が不透明な中での対外との連携ごとや、突然舞い込んでくる新しい機会に対して、迅速かつ創造的に向き合える久留米青年会議所になるための「会務の脱皮」にチャレンジします。
メリハリを風土にする
青年会議所という名の通り、我々の主戦場かつ醍醐味である会議、特に正副理事長会議や理事会において、建設的かつスムーズな中身になっていないようでは、その後の委員会やその他打ち合わせもだらけてしまう悪いお手本になってしまいます。会議中に、ささいなことで時間を無駄にしないために、事前に行える「完璧な準備」とは何かを常に意識し、会議の構成メンバーに向けて、必要な作業と、必要不可欠なマインドを浸透させることが必須です。
外部との連携にワクワクする
「渉外」という担いには様々なものがあります。相手があることなので、誠心誠意きっちりと遂行していくことが最低限求められますが、それだけではモチベーションを高く保ち続けるのは難しい時も出てくるでしょう。せっかく外部と連携させていただくのであれば、各種の渉外事が、何のために構築されて、出向いた先に何を掴めるのかを想像し、おもしろおかしく会員へ浸透させていき、とにかく機会に感謝をし、楽しみましょう。その結果インプットされた多くの「引き出し」によって、さらなる素晴らしいアウトプットが出来る団体になれるはずです。
議案のプロを増産する
青年会議所で学べる「議案」と呼ばれるフォーマットによって進められる事業計画及び決算の仕組みというものは、卒業後も、仕事においてもプライベートにおいても必ず役に立つ「考え方」として、青年会議所の大きな発明の一つだと私は思います。議案の精度を事前に徹底的にチェックし、指摘をすることで、チェックする側も、される側も、この武器を自分のものにしていただきたい。今後の人生において絶対に無駄にならないこの資産の価値を理解し、自らが携わった経験がある会員を増やすことで、論点を間違えず、その都度最適だと思われるアイデアを次々に生み出すことを得意とする集団に、改めて成りましょう。
考えて「魅せる」
本来、広報というものは、ただそこにあるものを写し伝えることにとどまらず、どのように表現すればその魅力を引き出せるのかを考えて伝えるものであるべきだと考えます。同じ被写体でも、構図や光、角度など様々なツールや条件を抱き合わせながら撮影し、様々な言葉や媒体を駆使することで見る人に訴えかけます。久留米青年会議所のブランディングを考える際の「顔」として、戦略的に広報・報道を考え、いまに最適な「魅せ方」を確立していき、さらにはその手法を会員各々の事業所へ持ち帰ることが出来れば、会も会員も会員以外の方も、大きな価値を共有できるはずです。
おわりに
2021年度を考えるにあたり、外的環境の不透明さと常に向き合わなければなりません。ですが、だからこそ、どんなことが起きようとも絶対に無駄にならない「自分たちの覚醒」に特化します。
私自身が誰よりも、この所信につづる想いを自らに投げかけ、覚醒しようとする背中をお見せすることをここに誓います。
これからも永く、久留米青年会議所が持続可能な状態で存続し、「まち」をつくり「ひと」をつくり続けていけるように、大きなターニングポイントになる一年にしよう。あくまでも、楽しみながら。